アイデンティティ?なにそれ?
ハロー、シオです。
いま心理学の授業を受けている。さっきから皆が聞き慣れない単語を連呼している。正確に聞き取れている自信はないが「アイデンティティ」と言っているように聞こえる。
その単語を誰かが口にするたびに教授は「君、わかってるね」という顔をする。あいでんてぃてぃ…どういう意味だろう。
ティー…ティー…ティ…
そうか。お茶の種類に違いない。セイロンティー、アッサムティー的な感じなのだろう。なるほど、みんなはお茶の話をしていたのか。確かにお茶は深い議論が可能な話題だ。挙手して私の編み出した紅茶の淹れ方をみんなに教えてあげようか。
いやでも、本当にお茶なのか?何かがおかしい。お茶の話でこれほど盛り上がるものなのか。しかも心理学の授業中である。もっと心理学らしい話なのではないか。
今まで「アイデンティティ」と聞こえていたものを「アイデンティ」と「ティ」に分けて考えていたが、これがそもそも誤りだったのだろう。
心理学にまつわる言葉といえば何があるだろうか。
希望・絶望・悲しみ・鬱・愛…愛…愛!!愛!!!
そうだ。「アイデンティティ」の「アイ」は愛、つまりLoveなのだ。
「愛デンティティ」
おしい。とてもおしい気がする。「デンティティ」とはなんだ。それがまだ分からない。もしや「デ」は助詞の「で」なのか。書いてみよう。
「愛でンティティ」
…
コレダァァァァアアア。
もはやこれでしかない。
ンティティするのだ、愛で。
僕もしたい、ンティティ。
教授が何が言っている
「どーたらこーたら………
愛でンティティの拡散という危機……
にゃんたらかんたら……」
なぬ。「愛でンティティ」は拡散するものなのか。拡散とはどういうことだろう。愛が広がるのだろうか。もしやこれは世界平和的な話なのか?いや待てよ、もっと単純で、もっと身近な「拡散」があるじゃないか!現代における「拡散」といえば一つしかない、リツイートだ。
「愛でンティティ」するとリツイートされるのだ。つまり、みんなにンティティが知れ渡る。
教授はそれを危機と呼んだ。リツイートされることが危機?いわゆる晒しというやつか。愛でンティティすることは恥ずべき行為なのだろう。
とは言っても恥ずべき行為なんていくらでもあるものだ。ンティティは道徳的に恥ずかしいのか?それとも体裁を失う点で恥なのか?どうなのだろう。んー、どうなんだ。。
んー
んーーー
…?
あああああ分からない。もう僕にはわからない!!!!
何もかもわからなくなってきた。
自分が何なのかさえわからない。
自分は誰だ?誰だ?誰だ?わからないわからないわからないわからないわからないわからない…
「愛でンティティの拡散」なんて言われても分かるわけがないじゃないか。このフレーズのせいで自己同一性が崩れそうだ。
も゛う゛し゛ら゛な゛い゛っ!!
-追記-
結局ンティティとは何だったのだろう。
心理学の授業を受け続けていれば、いつか答えにたどり着けるのか。ンティティ…なんという好奇心を刺激する響き。誰でもいいから教えてくれ、本当の「愛でンティティ」を。