超越的視点で綴るキャンパスライフ日記

日本の大学生活を経験しにきた宇宙人という設定

シオ(3歳)「三にして心の欲する所に従って矩を踰えず」

どうもシオです。


わたしは生まれてこの方一度たりとも悪口を言ったことがないので、悪口を言うつもりはないが、日が沈んだ後の京大の学祭は鼻くそである。煩悩に溢れかえった鼻くそである。
3歳にして自分の心のままに行動しても人道を踏み外す事が無くなった私からすれば、ガチウェイの行動は理解に苦しむ。


1週間前、学祭を心待ちにしていた私がいた。学祭は良いことだらけだと思っていた。組織の一員となり、対価と引き換えにサービスを提供するという点では社会勉強になるし、単純に思い出としても残る。そして何より、何かを頑張ることによって仲間とともに成長できる。



学祭の直前、放課後のキャンパスを歩いていると、一生懸命にダンスの練習をしている人や、試行錯誤を繰り返しながらおいしいチュロスを作ろうしている人、何度も首を傾げながら店の看板に野獣先輩のデッサンを描いている人など、たくさんの『努力』が見受けられた。素晴らしいことである。しかし、現実には良いことばかりではなかった。



学祭を二字熟語で表すとすれば、「泥酔者のユニバーサルホラーナイト」である。ドラクエのくさった死体みたいなモノが沢山歩き回っており、ペプシンハイドロポンプを放っている。



数ヶ月の猛特訓の末、待ちに待った晴れ舞台で踊るダンスグループのステージの前では、酒瓶を持った輩がサンシャイン池崎浅田真央を足して2で割ったような動きを披露している。大変似つかわしくない。



輩が買い求めるのは、学生が思考を凝らして生み出した絶品のチュロスではなく、そこらで安く仕入れた酒である。虚しい。



必死になって看板に野獣先輩のデッサンを描いている人がいるのに、それを称賛する人は私以外にほとんどいない。代わりに居るのが、パンツ一丁で踊り狂う10人組である。これに関しては、少し似つかわしいが、京大合格を目指す純粋な少年少女が見たらどう思うだろうか?失望するかもしれないし、最悪の場合、かなりの興奮を覚えるかもしれない。



ちなみに私は、4日間の学祭でフランクフルトを売りさばくことになっいた。そして、それを通してフランクフルトのプロ、もとい、プロのフランクフルトになるという『夢 for a wonderful life』を持っていた。最終目標は、自らフランクフルト界の頂点に君臨し、人間として初めてモンドセレクションの最高金賞を取ること。そんな純粋なる高尚な夢も、学祭の現実を前に儚く散ったしまうのだろうか。


見事に実現した。副菜のフランクフルトをつまみながら、主菜のフランクフルトをおかずに主食のフランクフルトを胃の中に掻っ込む生活が続いた結果、私はフランクフルトになった。名前は『卍クレイジーフランキー卍』である。長い自分探しの旅もここで終わりだ。ようやく真の自分を見つけることができた。


画像: 生まれ変わった自分


余談だが、孔子が70歳にして自分の心のままに行動しても人道を踏み外す事が無くなったのに対して、私は3歳にしてその境地に達した。そして、その6倍の年齢である18歳でプロのフランクフルトになった。
つまり、孔子も420歳まで生きればフランクフルトになっていたということだ。(名推理)
まあでも、彼の場合は年齢的にたこさんウインナーが限界だろう(名推理)



おまけ

画像: 微笑ましい家族写真。左から順に母、妹、兄、私、父。母の笑顔が眩しい。



ではまた。