超越的視点で綴るキャンパスライフ日記

日本の大学生活を経験しにきた宇宙人という設定

鮭の骨について考えるだけで興奮を覚えるようになった2017年

 

12月31日。2017年もあと少しで終わる。

  

せっかくなので今年を振り返ってみたが、思い出せることの多くは「ゼルダの伝説 ブレスオブザワイルド」についてである。

3月にソフトを手に入れて以来、暇さえあればリンクを走らせまくっていた。山を登り、谷を下り、ありとあらゆる場所を巡った。そして各地で謎を解きまくった。解きまくっているうちに自分の脳がどんどん「ゼルダ脳」と呼ばれるアレになっていくのを感じた。

 

 

 

ゼルダ脳」とは、思考回路が自然とゼルダの謎解きに適応することである。地面に謎の器が5つ並んでいて、1つにリンゴが入っていたらあなたはどうする?残りの4つにもリンゴを入れてみたくなったのなら、あなたにゼルダ脳への道は開かれている。おめぇ、おめでとう。

 

 

 

まあとにかく、この一年弱で私の脳はすごくゼルダ脳になった。脳のゼルダ感がゼルダゼルダしてきて、(謎が解けた時にゲーム機に永住してる裸のおじさんがご自慢のハープで奏でてくれる)あの有名なトゥルルルルルルルン♪というメロディがゼルダ脳である私の脳のなかで脳内再生されすぎてもはや口からトゥルルルルルルルン♪と出てしまうようにようになった。いや、そこまで言うと嘘になるかもしれないが、それほどまでに私の脳はゼルダに満ちたゼルダ脳な脳である。

↑私の日本語はすごい上手だ。

 

 

 

そんな私のゼルダ脳は、しばしば日常生活に支障をきたす。例えば、普通に鮭を食べることができなくなった。

 

 

鮭の骨には脆い部分があったりする。ちょっとお箸が当たるだけで折れてしまうセンシティブなフラジャイルハート。まるで私の心のよう。ところが、多くの人が鮭の骨の完全性を欠くことに抵抗感を覚えずに蛮族みたいな食べ方をする。人間を喰らうトロールみたいな絵だ。ほんとみんなデリカシーのかけらもないんだからっ!めっ!!

 

 

一方、私の四肢にはデリカシーが沢山つまっている。巷では歩くデリカシーと呼ばれているほどだ。だから、そんな野蛮な食べ方はしない。

 

 

そもそも、鮭の骨を崩さないまま食べることの難易度がほどよく高めに設定されていることには意味があるはずだと思わないあたり、みな凡人である。人間が鮭を食べるとき、同時に謎を解いているのだ。ニーチェもそう言っていた。

 

 

 

では、鮭の骨にはどのような謎が潜んでいるのだろうか。私の推理によると、骨が完璧な状態のまま鮭を食べることが出来れば、トゥルルルルルルルン♪となるはずだ。ゼルダを極めた私がそう言っているのだから間違いはない。

 

 

 

鮭の骨や。どうして君はそんなに美しいんだ。その太い部分の猛々しさと、細い部分の繊細さ。大切な人を守るための力強さの表しているゴツゴツした骨と、他人に優しくすることの大切さを説くかのように優しくカーブを描く骨。それはまるで人類を育んだ空と海。私たちを生かす時間と空間。それら全てが詰まった君だから美しいんだな、鮭の骨。

 

 

 

鮭の骨を完璧な状態で食べ終え、トゥルルルルルルルン♪のメロディを聴いた後、何が起こるのだろうか。おそらく胸筋や上腕二頭筋、腹筋など諸々の筋肉がメキメキと盛り上がり、ムッキムキの神になるのだろう。同時に底のない無限の慈愛がハートに注がれるので、ムキムキなのに驕り高ぶることもなく、優しいマッチョの出来上がりである。

 

 

マッチョ……イヒヒ……サケだ。はよサケをくれ。そっちじゃない。泳ぐやつだ。