超越的視点で綴るキャンパスライフ日記

日本の大学生活を経験しにきた宇宙人という設定

誰かコーヒー好きの私に倫理的に正しいコーヒーを淹れてください。

 

コーヒー、それは大人の嗜好品。飲めないうちはまだ子供。飲めるだけならただの凡人。味わえるようになって一人前の大人である。

そして、私はコーヒーが大好きだ。そんな私のようなコーヒー好きには理解してもらえると思うが、クラフトボスやクラフトマンといった最近流行りのペットボトルコーヒーが…なんというか…オブラートに包んで言えばマジで不味い。味が薄くて、甘さも中途半端で最後まで楽しんで飲めなかった。

 

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画像: クラフトボス。前々から思っているのだが、BOSSのおじさん、なぜか舌が壊死してるしとても長い。このデザイン前衛的すぎないか?

 

 

「コーヒーといえばブラック」

そういう人も一定数いるようである。しかし、私からしてみればブラックほどの邪道はない。ブラックばかり飲んでいる人はシンプルに倫理的に間違っているのである。そう、間違っている。YOU ARE WRONG☆

ギリシア哲学における考え方の一つして、アリストテレスの唱えたメソテース(中庸)というものがある。彼は「人間の行為や感情は極端じゃなくて、中間くらいが一番いいんだ」的なことを言った。

例えば、勇気がありすぎると蛮勇となり、無さすぎると臆病である。中間くらいの程度の勇気が最も素晴らしい。メソテースとはそんな感じの哲学である。

メソテースの観点からブラックコーヒーを分析すると、コーヒーの恐ろしく極端な摂取方法であることは火を見るより明らか。コーヒー好きがブラックコーヒーを愛飲することは、コーヒー好きを語る人間が牛乳を「美味しいコーヒー」だと思っているのと同じくらい極端なことである。

 

 

コーヒーに牛乳や砂糖を入れて飲む人も多いと思う。正直、これはもう目も当てられないほど酷い。コーヒーが好きだと言うのならコーヒーを飲め。あなたが飲んでいるのはコーヒーではない。コーヒーと砂糖と牛乳だ。3つのうち2つの要素がもはやコーヒーではない。明らかな非常事態。これをコーヒーと呼ぶのは倫理的におかしい。 

無為自然

老荘思想の基本的立場を表した語である。我々は宇宙の在り方に従って自然のままにあらねばならない。コーヒーに砂糖と牛乳を入れることは宇宙規模の誤りである。だから、そのような人はコーヒー好きを語ってはいけない。真のコーヒー好きは、砂糖も牛乳も入れないのだ。

 

 

ブラックコーヒーは駄目だし、砂糖や牛乳を入れてもいけない。ではコーヒー好きは何を嗜めばいいのだろうか。答えは簡単だろう。コーヒーの原点に立ち返ってみてほしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コーヒーの原点…

 

 

 

 

 

 

 

もとの姿…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もしや

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まめ!!!?

 

 

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真のコーヒー好きはコーヒー豆を楽しめばいいのではないかと思ったそこのあなた、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

流石にそれはなくないか?wwww

もはや飲み物じゃないしwwww

コーヒー豆のどこを好きになればいいの?wwww

ねぇフォルム?wwwフォルム愛好家?www

 

 

 

 

 

つまるところ、真のコーヒー好きはどのようなコーヒーが美味しいかについて語ってはいけないのである。なぜなれば全てのコーヒーは何かしらの理由で倫理的におかしいからだ。

 

私はコーヒーが大好きである。

だからこそ、基本的にコーヒーは飲まないし、飲んだとしても美味しいと思うことはないだろう。誰か私に倫理的に正しいコーヒーを淹れてください。